■ウタカゼミニノベル『小さな一歩、大きな一歩』

作:藤野昂太

 僕らの背は、とても小さい。
 だから、横たわる木を登るだけでも大変だ。
 ごつごつとした木肌をひたすら掴む。掴む。
 そしてようやく、終わりが来た。
「やっと、着い、た……!」
 大木を何とか登り切り、ざらざらとした表面にペタンと座りこむ。すごい疲れた。
 ふぅ、と一息。
 だけど。ここまでたどり着いたことで、ようやく見ることができた。
 天を衝くように生い茂る草の向こう側。
 夕日を受けてキラキラと輝く、広大な湖。
「長かったぁ……」
 あの湖を目指して、僕らはどのぐらい歩いたのだろう。村長のしかめっ面を見たのが、ずいぶん昔の話みたいだ。
 じーん、と今までの感動にひたっていたら、
「ちょ、と、助け……」
 か細い声がした。
 後ろの木の崖に、小さな手がかかっていた。ぷるぷる震えてるし。
「ジノ!? なにしてんの!?」
 非力な相棒を引っ張り上げる。
「いやぁ、ごめんごめん。助かったよ。ありがとう、カーム」
 そう言いながら、彼はドサリと座った。
 必死で笑顔を作ろうとしているけど、そんな汗だくの顔じゃキツイよ。
「だから無理するなって言ったのに……」
「何言ってんのぉ。俺だってウタカゼなんだぜ? これぐらい、出来なくてどうするんだよ」
「それはそうだけどさぁ……」
「ま。こんな木ぐらい、ちょろいモンだね」
「助けてって言ってたじゃん」
「ほらほらカーム、早いとこ飯にしようぜ」
「話聞いてよ」
 僕の言葉を無視して、ジノはお弁当の包みを開いていた。
 中身は香ばしい匂いの香る、食パン。
「これに……」
 別の包みを取り出すジノ。
 中にはさっき獲った魚、をさばいたものが入っている。
「出来た!」
 白身魚をパンに挟んで、完成。
「いただきまーす!」
 ガツガツと食べ始めるジノ。
 僕もジノと同じように作り、小さく感謝。
「……いただきます」
 大地にお礼を言ってから、僕も食事を始める。
 澄んだ空気に流れる水の音、土の良い匂い。
 そして、ついさっき獲ったばかりのお魚。うん、新鮮で美味しい。
 少しばかり、体力が回復した。
「よーし、じゃあ行くか!」
「早、さっきまでフラフラだったじゃないか」
「もう大丈夫さ。ご飯も食べたし。それにホラ、急がないと村長もうるさそうじゃん?」
「……それはまぁ、確かに」
 僕らの村の村長はいちいちうるさいのだ。ここでモタモタしていたら、またどんな文句を言われるか分かったもんじゃない。
 ほんと、コビット使いが荒い人だ。
「じゃ、行こうぜ!」
「うん、行こうか」
 ぱんぱんと木くずを払い、ジノと二人、急な崖を降りていく。ゴツゴツとした木の壁は、登りとは違って降りやすかった。
「えーと、湖に着いたらどうすんだっけ?」
 切り開かれた道を進みながら、ジノが話しかけてきた。
「何で覚えてないんだよ……。橋だよ。橋をかけるの」
 てくてくと歩きながら、目的の湖へと向かう。
「あーそっか。聞いた時も思ったけどさ、それ、ウタカゼの仕事じゃないよね。土木工事だよね」
「しょうがないよ、困ってる人が居るんだし。そういう人を助けるのが僕らの仕事」
「でもなー、やっぱり釈然としな……」
 ジノの愚痴を遮るように、とつぜん疾風が吹いた。そして、夕日を遮る何かの影。
「うわ!」
「ジノ!」
 身体の軽いジノが飛ばされそうになり、慌てて抑える。
 風が収まった。ばっと顔を上げる。
 どんよりとした雲の下。
 巨大な黒い鳥が、らんらんとした目で僕らを睨んでいた。
「カラス! ジノ、カラスだ!」
「い、言われなくても分かってるよ!」
 ジノはあたふたと、腰のパチンコを手に取った。
「カーム、お前も早く準備!」
「う、うん!」
 僕も短剣を手に取る。
 カラスが空へ向かった短く鳴いた。
 お互い準備完了。
 先に動いたのは、カラスだった。
 僕らが動く間もなく、怪鳥は滑るように突撃してきた。
「危ない!」
 ジノの叫び声と共に勢いよく突き飛ばされる。
 僕が一瞬前まで立っていた場所に、凶悪な爪が振り下ろされていた。
「は、早……」
 地面に降り立ったカラスは挑発するように睨んでくる。
「この……!」
「ジノ! 今度は僕らの番だ!」
 勇気を振り絞り、巨大なカラスの足元に飛びかかる。
 しかしカラスは飛び上がって、それを躱した。
「届かない……」
 こういう時、自分の小ささを実感する。全然届かない。
「こういう時こそ!」
 ジノがパチンコで狙いを定め、撃つ。
 外した。
「もう一発!」
 カラスの方が素早かった。
 ジノが弾を撃つより早く、黒い影は狩りをするように舞い降りてきた。
「わ!」
 風圧と翼に打たれ、ジノの身体が宙に舞う。
「ジノ!」
 叫び、カラスの翼を狙う。今度はかすった。黒い羽が数枚、宙を舞う。
 でも、ほとんどダメージは無いみたいだ。
 巨体が振り向く。悪意の色に染まった目と、正面からぶつかる。
 鋭いクチバシが、僕の身体を抉ろうと――。
 バチリと何かがぶつかる音。
 ギャアと悲鳴が上がった。
 カラスがよろけ、クチバシは地面を抉った。
「カーム! 大丈夫か!?」
「うん、大丈夫!」
 暴れるカラスの陰で見えないけど、ジノがパチンコで攻撃したらしい、助かった。
 ギャアギャアとわめき散らしながら、カラスは再び空へ飛んだ。
「ジノ、もう一回パチンコを……」
「……ごめん、もう弾無いや」
「無駄撃ちばっかしてるからだよバカァ!」
 カラスが襲ってきた。
 急いで草の陰へと隠れる。
「どうすんの? 弾も無いし、アイツに届くような武器は無いぞ?」
 ジノの瞳は焦りで染まっていた。
 カラスは上空に陣取ったまま、じっと僕らを探している。これじゃうかつに動けない。
 こうなったら……。
「……よし、歌のチカラを使おうか」
「歌?」
 僕の急な提案に、ジノは少し困惑したようだった。
「だから、僕ら歌のチカラ、見せてやろうよ!」
「き、効くのかな? あんなカラス相手に?」
「やってみなきゃ分かんないよ!」
 ポーチに入っていたオカリナを取り出す。
「うー……、しょうがねぇなぁ……」
 ジノも泣きそうな目をしながら横笛をくわえた。
 その瞬間。僕らを後押しするかのように、風が吹いた。
 と同時に、僕らを発見したカラスが迫ってきた。
 怖い、でも。
「よし、今だ!」
 音を奏でる。
 悪意をもった生き物を正気に戻すための、歌を。
 辺り一面に、心地よい音色が響く。
 風にのった音楽は、カラスにぶつかった。
 何かが抜け落ちたようにカラスの動きが止まり、そのまま地面へ落ちてきた。
「や、やったのか?」
 うずくまったまま微動だにしないカラスに、ゆっくりと近づく。
 うっすらと開かれたカラスの眼は、黒々とした、綺麗な瞳をしていた。
「よかった、もう大丈夫みたいだ」
「俺のおかげだな」
「はいはいそうだね」
「流すなよ」
 カラスはゆっくりと立ち上がり、感謝するように短く鳴いた後、大空へ飛び立っていった。どうやら正気に戻ったようだ。よかった。
「もう悪いことするなよー」
 カラスを見送る。
「さ、行こうか。僕らの仕事が待ってるよ」
「あー……そうか、忘れてた……」
 ぶちぶちと文句を言うジノを置いて、僕は歩き出す。
 辺りを赤く照らしていた夕日は、ゆっくりと沈み込んでいた。急がないと、日が暮れてしまう。
「あ、待ってよ!」
 ジノが追いかけてきた。
 風に揺られた草木がさわさわと揺れる。
 さぁ、急ごう。
 小さなことからコツコツと。
 困っている人のために、僕らは歩く。

〈おしまい〉