■ウタカゼミニノベル『勇者の心得』

作:小池敦也

 一面に広がる草原の向こうに、薄暗い森があった。
 生い茂った草木が天井を作り、日の光がほとんど入っていない。外からでは、中の様子をうかがい知ることすら難しい有様だった。
「……暗っ。なあフォス、ほんとにここ入るのか?」
「あら、怖いの?」
「……誰だって暗いのは嫌いだろ」
 その森の入り口に、二つの人影があった。緑色の短髪をした少年と、透き通るような長い銀髪を持つ少女の姿をしている。
 体格は、かなり小さい。十七センチくらいの、コビット族と呼ばれる小さな人たちだった。
「臆病さは変わらないわね、スキア。自分の意志でウタカゼになったくせに」
「そ、それは……まあ」
 スキアは言葉に詰まりながら、髪を掻く。
 ウタカゼとは、世界に蔓延る『悪意』を払う力を持つ勇者のことだ。そして彼は、確かに数年前、自らウタカゼの勇者となる道を選んだ。そうすることが、世界にとっても、自分と同じコビットたちにとっても、最善のことだと思ったからだ。
「あなたはもう少し、ウタカゼとしての自覚を持つべきね。この世界から『悪意』を払えるのは、私たちウタカゼだけなんだから」
 フォスが呆れたように言う。
「それは、分かってるけどさ……」
「しっかりしてほしいわね。でないと、あなたの師から世話を任された、私の立場がないわ」
 弱音は聞き飽きた、とばかりに、フォスは彼の手を引き、森の中へ入っていく。スキアもおどおどとしながら、引かれるがままにフォスに続いた。
「さっさと森に潜んでいる悪意を払って、動物たちを救わなくちゃいけないんだから」
「……ああ」
 彼女の言葉に、スキアはためらいながらも頷く。
 悪意の精霊たちは、動物たちを悪意に染めて、凶暴な『悪しきもの』に変えてしまう力を持つ。
 そんな動物たちを、悪意の魔手から救いたい。その思いは、彼にも確かにあった。
「敵がいつ出てくるか分からないから、注意して進むのよ」
 たいまつを片手に、フォスが先導して歩いていった。
 周囲をきょろきょろと見回し、物音の一つ一つにびくつきながら、スキアも彼女の後を追う。
 入口付近には、『悪意』に侵された動物の気配はない。もっと奥の方まで、進んで行かなくてはいけないようだ。
「あなた、どうしてそんなに、自信を持てないの?」
「……そりゃあ……」
 弱いから。
 そう答えようとして、言葉を濁す。
 自分が弱いわけではないことは、分かっていた。志願者として訓練を積み、ウタカゼとして認められたのだ。他の志願者に比べて、劣っているということもない。むしろ剣の扱いは上手い方だった。
「実際に大きな敵と対面すると、足がすくむんだ。死ぬのが、怖い」
「怖いのは、皆同じよ」
「分かってる。でも、訓練の時みたいに、冷静でいられないんだよ」
「……まあいいわ。とりあえず、今は目先のことに集中して。不意に攻撃でもされたら、あなたを見捨てる他ないから」
「さらっと酷いこと言ったなおい」
「自分の身くらい自分で守れってことよ」
「そりゃあ、善処はするけどさ……」
 そんなことを言われ、スキアはますます周囲を警戒する。
 今のところ、周囲に生き物の気配はない。時折草木が音を立てるが、それは風のせいだろう。だが今は、その気配のなさが、逆に不気味だった。
「……変ね」
「何が?」
「ここに、悪意の精霊がいると聞いて来たのに。悪意どころか、動物一匹いないなんて」
「……きっと、全員でお引越しでもしたんだろ」
「こんな時にメルヘンな冗談が言えるのは、ある意味才能だと思うわ」
「いちいち言葉に棘があるな……」
 彼がぼやくと同時に、フォスの目つきが鋭くなった。
 怒らせるようなことを言ったのか、と慌てるが、すぐにそれが間違いだと気付く。
「……唸り声……?」
 闇に包まれた森の奥から、それは聞こえていた。低く、敵意に満ちたその音に、スキアの身が小さく震える。
「そう遠くないわね」
 フォスが腰に差した剣に手をかけ、周囲に意識を集中した。すると、直後。微かなものだった唸り声は、耳をつんざくような雄叫びへと、突如豹変した。
 同時に、フォスが声に向かって駆け出す。慌ててスキアも後を追うが、恐怖心に蝕まれた彼の足では、彼女の速度には敵わず、どんどんと引き離されていく。
 雄叫びの出処には、すぐにたどり着いた。そこには牙をむき出しにして唸る、一匹のオオカミがいた。
「っ……!」
 咄嗟に、木の陰に身を潜める。
 ギラリと光る赤い瞳からも、悪意に憑りつかれていることは明白だった。小さなフォスにはまだ気づいていないようだが、元々凶暴なオオカミが、悪意によってさらに凶暴化している。フォスの小さな体では、それを退けることは難しいだろう。
「ま、待てよ……フォス……っ」
 と、息を切らせながらスキアが追いついてくる。そして息が整う前に、目の前にいる獣を見て叫び声を上げた。
「なぁっ、なんだこれっ!? 猛獣!? 化け物!?」
「……あなたの絶叫を聞いてると、逆に落ち着いてくるわ」
 そんな彼とは対照的に、フォスは木陰から冷静にオオカミを見据えている。赤い瞳……このオオカミは『悪しきもの』と化している。普通のオオカミとは違い、一撃を与えただけでは逃げてはくれない。でも、明らかに格上の相手とはいえ、取り乱しても始まらない。
「……か、勝てるのか……?」
「他にないわね。戦って、この獣の悪意を消すのよ」
「ど、どうやって?」
「……どうやって? あなたもウタカゼなのよ。あなたには歌風の力が流れているの。戦うことで悪意を消すことができるのよ」
「簡単に言ってくれるよ……」
「話している暇はないわ。早くしないと……」
 そう言ってフォスは、オオカミの傍に目をやる。雛鳥が一匹、倒れていた。羽を怪我しているのか、跳び上がる様子はない。このままオオカミに気付かれれば、食われてしまうだろう。
「ってフォス、まさか本気で戦うのか!?」
「当然でしょう。何回言わせるつもり?あなたはウタカゼなの。それがウタカゼの使命なのだから」
「んなこと言っても、あんなのに勝てるわけないだろ!?」
 二十センチにも満たない彼らに対し、五倍以上の体格を持つオオカミは、そびえ立つ山のようにすら感じられる。勝てるわけがない、と、スキアは考えていた。
「スキア。あなたは、何のためにウタカゼになったの?」
 そんなスキアに対し、フォスは諭すように言う。
「え? それは……」
「『悪意』を取り除いて、この世界から危険をなくしたい。そうじゃないの?」
「……そう、だけど……」
「戦いたくないなら、それでいい。でも私は行くわ。後悔したくないから」
 そう言いながら、フォスはオオカミの背後に向かって駆け出す。そして大きく跳び上がり、無防備なオオカミの足を、力いっぱい斬りつけた。
 オオカミの悲鳴が森に響く。だが、ちっぽけなフォスの攻撃は、オオカミにはあまりに無力だった。
「……ぅあっ!」
 彼女の体は、振り抜かれたオオカミの前足に叩き伏せられ、地面に投げ出される。
「フォスっ!」
 彼女はすぐに立ち上がり、再びオオカミに向かっていく。
 しかし何度向かって行っても、あんな大きな獣に勝てるわけがない。このままでは雛鳥も、もしかしたらフォスも、あのオオカミに食われてしまうかもしれない。そんな状況を前に、スキアは『ウタカゼ』としての使命を、頭の中で反復していた。
 その時、彼の耳に声が聞こえた。
「(助けて……)」
 その声ははっきりと、言葉を持たないはずの雛鳥から聞こえていた。言葉を喋る鳥類など、聞いたことがない。しかしその声は何度も聞こえ、消えることはなかった。
「本当に、あの雛が……?」
 雛鳥が、助けを求めている。実際に声として聴いてしまうと、いてもたってもいられない。
 ウタカゼになると決めた時のことを、思い出す。志願者として訓練を積み、ウタカゼとなった時のことを。
 勇気を出せ。心の中で呟く。
 恐怖を振り払え。俺は今日、本当の意味での『勇者』になるんだ。
 彼が剣の柄を握ると共に、オオカミが大きく吠えた。その威圧感に、雛鳥が体を震わせる。
 考えている暇はない。自分が動かないと、あの雛は食べられてしまう。
「わああああああっ!」
 我ながら情けないと思うような掛け声を上げ、剣を引き抜き、オオカミの正面へ向けて突っ込んでいった。しかし獣は彼に目もくれず、鋭い牙で雛を噛み千切ろうと首を下げる。
「あぶないっ!!」
 時間がない。このまま走って行っても、間に合わない。
「くっそおおおっ!!」
 叫びながら、剣を持った腕を振りかぶる。そしてそのまま、オオカミの顔面へ向けて思いっきり投げた。賭けだった。上手く当たらなければ、武器を失っただけに終わる。
 剣は真っ直ぐに、獣へと飛んでいく。そして雛鳥が牙に抉られるよりも早く、
「!」
 オオカミの頬を斬り、草木の向こうへと飛んで行った。
 小さな剣だが、流石に顔を斬りつければダメージは大きい。オオカミは絶叫し、怒りの矛先をスキアへと向ける。
「ナイスフォロー……よ」
 しかしオオカミがスキアの下へ走るよりも速く、フォスが動いていた。一瞬の隙をつき、オオカミの背へと登り、剣を振るう。
 先ほどの傷に加えての激痛に、さすがの凶獣も耐えきれず、体を大きく震わせる。背に乗ったフォスを払い飛ばし、そのまま森の奥へと、駆けて行った。
「……あ……あはは……」
 緊張感が解け、スキアはその場にへたりこんでしまう。
「勇気、あったじゃない」
 そんな彼の下に、フォスが自分の体をさすりながら歩いてくる。全身に痛みはあるものの、大きな怪我をしているわけではなさそうだった。
「あの雛が……助けてって言ってきてさ……だから……」
「……? スキア、鳥は喋らないわよ?」
「そりゃあそうだけど……確かに言ったんだよ。助けて、って」
「……本当に?」
「ああ」
 フォスはそれを聞き、考えるような仕草をとる。
「もしかしたら、『心話』かもしれないわね」
「心話?」
「ええ。もの言わぬ動物の、意思疎通の手段よ。言葉を使わず、心と心で、意志疎通を図るの」
「それを、俺が?」
「可能性はあるわね。言葉ある種族の中で、使える者は稀なはずだけれど……」
 もしかしたら、スキアは貴重な人物なのかもしれない、とフォスは考えた。
「でも結局、悪意は払えなかったな」
「状況を考えれば、十分すぎる成果よ。誇っていいわ」
「まじで?」
「ええ。でもいずれ改めて、あのオオカミの悪意を払う必要はあるけど」
「ええー!? そ、それ、俺もいかなくちゃ……?」
「当然よ。最後まで責任もってやるのよ」
「……あーもう分かったよ。責任持ちますよ、『勇者』として!」
 そう言いながらも、スキアは本気で落ち込んで見せる。大物なのかそうでないのか、判断しにくい男だった。
 けれど、彼はいずれ優秀なウタカゼになる。勇者としての素質が、十分に備わっている。そう確信しながら、フォスはスキアと共に帰路についた。
 今度、彼に新しい剣を作ってやらなければならない。とびきり優れた剣を。
 森を抜けると、輝くような日差しが、スキアの成長を祝福するかのように照りつけていた。

〈おしまい〉