■ウタカゼミニノベル『小さな人の大きな冒険』 作:柳井遼  森の葉が赤く染まり、少し冷たい風が吹き始めたある日のこと。  歌風の龍樹にある訓練所では、「ぱちん!」という音が聞こえてきます。 「よし!」  そこにいたのはウタカゼになったばかりの男の子、アリク。  アリクはパチンコを構えて、片目をつぶり、まとに狙いを定めて、手を離します。  するとどうでしょう、どんぐりは見事まとの真ん中に命中。  アリクはふう、と息を吐き、 「うん! 今日も絶好調!」と笑顔で汗を拭きました。  アリクは一旦練習をやめ、訓練場の端に座って、リュックからクルミを取り出しました。  そしてクルミを一口頬張ると、 「練習後のクルミは美味しいなあ」  と、リュックの中に入っていたクルミを、あっという間にぺろりとたいらげてしまいました。 「ふう、お腹いっぱい」  アリクが練習を再開しようと立ち上がると、どこからともなく「アリクー!」と自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきます。  栗色の髪をなびかせながらアリクの前に現れたのは、同じ新米ウタカゼのリリでした。 「どうしたんだい、リリ」 「お師匠さまが呼んでいるの、すぐに行きましょう!」  それを聞いたアリクは驚いた様子で、 「それは本当かい? こうしちゃいられない!」  急いでパチンコをリュックに押し込むと、2人は訓練所を出て、すぐさま師匠の元へと駆けていきました。 「お師匠さま、お待たせしました!」  アリクとリリが勢いよくドアを開けました。  するとそこには、 「よく来ましたね」 「アリク、リリ、遅かったじゃねえか」  ウタカゼの師であるフィノと、2人と同じように呼び出された、斧を担いでそう言うトマが。  フィノは2人の息が整うのを待ち、話を始めました。 「アリク、リリ、トマ。あなたたちに頼みたいことがあります」  フィノはポケットから手紙を取り出し3人に見せます。 「この手紙はしっぽの王国の王都エルムンからツタエバチが届けてくれたものです」 「しっぽの王国って、ネズミ族さんたちが住むところですよね」 「ええ、そのネズミ族の王子であるグリン王子からの手紙です」  フィノはアリクに手紙を渡しました。それをリリとトマはのぞき込むように見ます。 「えーと、〔ウタカゼさんへ。レンコン洞窟に住むコウモリが大きな声で鳴いて、洞窟に住むものたちが困っています。どうか力を貸してください――グリン〕」  アリクが読み上げるとフィノは3人に言います。 「そこであなたたち3人にはレンコン洞窟へ行って、そのコウモリを説得してほしいのです」  アリクはその言葉にすぐに反応し、 「わかりました、フィノ師! 頑張ろう、リリ、トマ」 「もちろん!」 「おうよ!」  リリもトマも後に続くようにその使命に意気込みました。  3人の姿を見てフィノは嬉しそうに「頼みましたよ」と言い、アリクたちもそれに答えるように、声高らかに返事をしました。 「しっぽの王国までは遠いので、乗りウサギに乗っていってください」  フィノはウサギたちがいる厩舎を指さしながらそう言いました。 「フィノ師、行ってきまーす」  3人はフィノの家を出て、手を振ります。  フィノは意気揚々と厩舎の方へ走る3人の背中を、手を振って見送りました。  3人が龍樹を出発してから、2日ほどが経ちました。 「みんな気を付けて!」  アリクが後ろの2人に声を掛けます。  3人がいるここは、ススキ草原。  しっぽの王国へ行くためには通らなくてはならない場所です。  しかし、ススキの葉にはノコギリのような鋭い棘がたくさんついていて、触れればひとたまりもありません。  アリクたちはやむを得ずススキ草原の前でウサギから降り、ウサギの手綱を引きながら、ゆっくりと進んでいるところでした。 「うわあ、お腹にススキの葉が当たりそうだよ!」  人一倍大きな体のトマは、涙目になりながらもなんとかススキの間を縫って、2人についていきました。  それからさらに半日ほど進んだ時のことです。 「出口だ!」  先頭のアリクが大きな声で言いました。  ススキの長く青い葉を抜けた先にはなだらかな平地が広がっていました。ここから先はしっぽの王国です。アリクたち3人が初めて足を踏み入れる、ネズミ族の暮らす土地なのです。  それから1日ほど、アリクたちはウサギを走らせ、街道を進み、ネズミ族の石造りの村々を抜けて行きました。  そして、小高い山の麓に作られ、高い城壁に囲まれた大きな町にたどりついたのです。これが、しっぽの王国の王都エムルン。そして、その中心にそびえたつ大きなお城、手紙を送ってきたグリン王子が住むお城でした。 「グリン王子に詳しい話を聞きに行きましょう」  リリがお城を指さしてそう言うと、2人もそれに賛成し、お城に行くことに。  お城に着くとグリン王子が3人を出迎えてくれました。 「よく来てくれましたチュウ、ウタカゼさん。さあさあ入ってチュウ!」  中に招かれると、綺麗な赤い絨毯に大理石でできた真っ白なテーブル。その上には木の実やキノコで作った、たくさんの料理が。 「うまそー!」  トマは目をキラキラとさせてよだれを飲み込みました。 「さあいっぱい食べてくださいチュウ!」  3人はグリン王子のお言葉に甘えて、豪華な料理をいただくことにしました。 「「「いっただっきまーす」」」  トマはよっぽどお腹が空いていたのか、口いっぱいに料理を詰め込んでいました。  アリクはこんな豪華な料理を食べれるなら、練習の時にクルミを食べなければなと、少し後悔していました。  そんな中、ふとグリン王子が話し始めました。 「ウタカゼさん、今日は来てくれてありがとうチュウ。本当なら僕が洞窟に向かわなくちゃいけないんだけど、王都にみんなを残してここを出れないから、ウタカゼさんにお願いをしたんだチュウ」  ぽりぽりと申し訳なさそうに頬をかくグリン王子。 「そうなんですか。任せてください、僕たちが何とかして見せます!」  アリクが自信満々に胸を叩くと、げっぷ、と口から音が鳴りました。 「ふふ、ありがとうチュウ」  その様子にグリン王子は笑い、アリクは恥ずかしそうに顔を赤らめていました。  3人は食事を済ませ、コウモリがいるという、レンコン洞窟に向かいました。  レンコン洞窟まではお城から歩いて1日ほどの場所にあります。岩や石が転がる山道を進み、急勾配の崖をよじ登り、アリクたちはようやくレンコン洞窟にたどりつきました。  洞窟の前に着くと、アリクはグリン王子からもらったホタルブクロと呼ばれる花のなかに、これまたグリン王子からもらった蛍を入れました。  するとどうでしょう――。 「わあ、きれい!」  蛍は花の中で輝き、アリクたちの足元を照らし始めました。 「これで見やすくなったね」 「グリン王子に感謝しなくちゃな!」  アリクたちは洞窟の中にはいると、明かりを頼りに奥まで進んでいきます。 「おーい、コウモリさんやーい」 「コウモリさん、出てきてー」 「コウモリさーん、コウモリさーん」  3人とも声をかけますが、洞窟の中にその声が響くだけ。  返事はありませんでした。 「どこに行ったんだろう」 「もしかして、もうどっかにいったんじゃねえか?」  トマは諦め半分で地面の石を蹴りました。  コツコツコツン。  蹴った石が音を止めた瞬間、 「2人とも静かに!」  とリリが声を上げました。 「何か聞こえない?」  リリの声に2人も静かに耳を澄ませて洞窟の音を聞きました。  水が地面に落ちる音。石のかけらが落ちる音。そして――。  バサバサバサ。 「あ、聞こえた!」  それはまさしくコウモリの羽音でした。 「近くにいるよ!」と、アリクが鋭い声でささやきました。「でも、なんだかいっぱい音が聞こえるような……」 「音が響いてるからじゃないか?」  トマはそう言いましたが、リリは音の聞こえるほうへ目を凝らして、 「違うわ、ほら見て!」と奥の方を指さしました。  そこには暗い洞窟に光るいくつもの眼が。  しかも――。 「赤い眼――悪しきものだ!」  アリクがそう叫ぶと、トマは斧、リリはオカリナを構えました。  アリクもすぐにパチンコを取り出しまして狙いを定めます。  それに反応したのか、コウモリたちは、 「キィーー!」と頭が割れるような声を出してきました。  その音に3人とも思わず耳をふさぎます。 「なんて音だ!」 「これじゃ攻撃できないぜ!」  それを見たリリは着ていた布を千切り、両耳に詰め込みました。  そして再びオカリナを構えて、綺麗な音色を奏で始めました。  するとオカリナの音色は、コウモリの嫌な声を綺麗な音色でかき消していきます。 「今よ!」リリが声を上げました。「今のうちに悪しきものを!」 「サンキュー、リリ!」  トマは斧をぶんと振り、向かってくるコウモリを気絶させました。 「上にいるコウモリさんたちが見えない……!」  天井にいるコウモリは闇に隠れているうえ、動きまわって狙いが付きません。  見えないコウモリに、アリクがあきらめかけたその時でした――。  ホタルブクロの中に入っていた蛍が飛び出し、上へと昇り天井を明るく照らしたではありませんか。 「蛍さんありがとう!」  姿が見えるならこっちのものです。  アリクは次々とコウモリを撃ち落し、ついにすべてのコウモリを気絶させることができました。 「やった!」 「でも、コウモリさんたちの悪意は消えたのかな?」 「もちろんよ」  リリは長い髪をかきあげ、微笑みました。 「だって、私たちはウタカゼなのだから……」  地面に倒れたコウモリたちは倒されたというよりは、安らかな眠りについているようでした。 「……ウタカゼが宿す歌風の力は悪意を打ち消す力。きっとコウモリさんが目を覚ませば、まるで夢から覚めたみたいに、その瞳はぱっちりと黒いはずよ」 「これで一件落着だな」  汗を拭うトマは、気が抜けたのか「グー」とお腹を鳴らしました。  それを聞いた2人は笑い、洞窟の中はいつしか笑い声でいっぱいになっていました。  それから3人は、悪意から解放されたコウモリに静かに暮らすよう説得し、コウモリたちは洞窟の奥へと戻っていきました。  そして洞窟からお城に戻った3人を待っていたのは、たらふくのごちそう。  笑顔の3人を見て、グリン王子もまた嬉しそうにしていました。  トマは「またススキ草原を通るのか……」とげんなりしていましたが、ススキ草原を通らなければ、龍樹には帰ることはできません。  ごちそうを食べ終わった3人は王都を後にしました。  旅はいつも、行く時よりも帰る時のほうが長く、それでいて、行く時よりも帰る時には何事も無く過ぎていくものです。  3人はようやく龍樹のもとへと戻ることができました。  そして帰った3人を歓迎しているかのように、少し冷たい風が赤く染まった森の葉をいつまでも、いつまでもゆらゆらと揺らしていました。 〈おしまい〉